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2013年1月11日
歴史をコリエイト
百済が日本の属国だったことは歴史学者の間では常識ですが、それを認めると韓国人のアイデンティティが崩壊してしまうため、韓国ではこの史実を「捏造ニダ!」と突っぱねていて、前方後円墳が出土して「前方後円墳の起源は韓国ニダ!」とホルホルしていたら、実は日本の支配層の墓だった可能性が高くなると「見なかった事にするニダ・・・」と埋め戻してしまう事もありました。
そんなかの国で見つかる日本式の墓ですが「この墓は支配層ではなく傭兵の墓に違いない!」と主張した記事のスレが東亜板に立ち、盛り上がっている模様。
以下、東亜板から転載。
- 1 :蚯蚓φ ★:2013/01/10(木) 21:10:16.56 ID:???
- http://file.mk.co.kr/meet/neds/2013/01/image_readtop_2013_22382_1357788762814999.jpg
▲全南海南で発掘された龍頭里倭系古墳。
「百済三斤(サムグン)王が死んで東城(トンソン)王が帰国した際、筑紫国(チクシコク・北部九州)軍士五百人が護衛した。」日本書紀雄略243年の記録だ。475年、高句麗軍の攻撃に百済は21代蓋鹵王(ケロワン)が戦死し首都漢城(ハンソン)をあけ渡す。熊津(ウンジン)に移り4年で3人の国王が変わる内紛が重なり統治機構が事実上瓦解する。
日本に留まった東城王(479~501年)は部下の武士団を率いて帰り百済24代王に上がる。王は傭兵を積極的に登用し百済を危機から救い出す。その後500人の武士団はどうなったのか。文献から彼らの痕跡を探すのは難しい。そして倭人傭兵はただ500人だけだったのか。
ところが彼らの行跡を類推できる倭系墓が最近、韓半島南部で大量に発見され学界の非常な関心を引いている。昨年11月、高興(コフン)豊陽面(プンヤンミョン)野幕(ヤマク)古墳を発掘した羅州(ナジュ)文化財研究所は墓の上に石を敷き土の墓を覆った見慣れない形態の古代墓を見つけた。
クォン・テクチャン研究員は「3世紀後半~7世紀末、倭古墳時代の普遍的墓」といった。倭系墓は墳墓様式と主要副葬品すべてが日系であるものを言う。野幕古墳を含み現在まで確認された倭系墓は全25基だ。(中略:倭系墓の紹介)
東城王が混乱した国内を収拾する方便として選択したのが南への領土拡張だった。王は13代、近肖古王(クンチョゴワン、346~375年)以来、百済の影響圏にあった栄山江(ヨンサンガン)方面を百済領土に編入するため地方官を派遣する上で、これを傭兵に任せる。「王が武珍州(光州(クァンジュ)と推定)を巡行した)という三国史記、東城王20年編(498年)記録を見れば地方官は中央の統制を受けたと推定される。
倭系墓から金製イヤリング、木棺・祭器など百済王室が下賜した多量の威信財が出てきたのもこれらが百済の隷属にあったことを見せてくれる。倭人傭兵の相当数は百済人化したと考えられる。広徳面信徳里古墳は彼らの帰化の可能性を見せる。信徳1号墳は典型的な前方後円墳だが、すぐそばの2号墳(息子墓と推定)は百済陵山里(ヌンサンリ)式横列石室で造成された。
前方後円墳はまた6世紀始めだけに限定される。538年、泗沘(シビ=扶余(フヨ))遷都後、韓半島南部を直接支配することになり傭兵の助けがそれ以上必要なくなったことを意味する。公州(コンジュ)扶余の倭系墓の被葬者は高句麗防御のための傭兵だった可能性が考えられる。
西部慶南(キョンナム)地域の墓は大伽耶系倭人傭兵と判断される。大伽耶は6世紀始め、西部慶南に橋頭堡を確保したと推測される。5世紀始め、新安と高興の古墳の主人公は百済が海路を通じて麗水(ヨス)半島と河東(ハドン)地域を攻略する時動員された倭人と解釈される。
このような資料はこれまで日本が信じる任那日本府説を否定する証拠でもある。パク・チョンス慶北(キョンブク)大教授は「日本史学界は、韓半島南部地域を支配した倭の任那日本府が4世紀から発展し6世紀に消滅したと主張しているが、支配層の前方後円墳が韓半島で6世紀始め、一時的に現れ、政治中心勢力化を意味する古墳群を形成できなかった点から推測して倭人らは傭兵の役割をしたにすぎないことが分かる」と反論した。
[ペ・ハンチョル記者]
ソース:毎日経済(韓国語) 韓半島支配主張日、'墓'のために偽りばれる
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?year=2013&no=22382
関連スレ:【韓国】5世紀の墓発掘、日本スタイルが見えて...学界の意見入り乱れ[11/27]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1353955426/
【日韓歴史】 韓国の順天雲坪里古墳群で任那日本府説に反論する遺物が大量出土[04/19]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1334840192/
関連記事:韓国の古墳が語る、「任那日本府説」は虚構
http://japanese.joins.com/article/833/150833.html
- 韓国人としては、「古代朝鮮半島に大きな力を持った日系の豪族がいた」なんて事実は認められないからな。
だから、日本式の古墳が見つかり、中から金銀や祭器等の権力を裏付ける財物が出土されて、大きな問題となった。
埋葬された人物が豪族である事を認める事ができないため、今回の様な「豪族ではなく傭兵であった」というトンデモ理論が飛ぶ出した。
豪族ではなく傭兵という事なら、古代朝鮮人の方が古代日本人よりも位が上であったと言う「結論」は守られるからね。
その結果、ただの傭兵のために古墳を作り、ただの傭兵の墓から大量の金銀財宝が出土されると言った矛盾点が生じたと。
「古代朝鮮半島に日系の豪族がいた」という事を認める事さえ出来れば、こういった矛盾点が解決されるんだけどな。
それを認める事は、韓国人のアイデンティティに関わる問題だから出来ないよな。韓国人の歴史観をよく表してるわ。
【日韓歴史】 韓半島支配を主張する日本、「墓」のせいで偽りばれる~百済古墳の被葬者、日本の傭兵にすぎなかった[01/10]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1357819816/
投稿者 kenji : 2013年1月11日 08:16
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